辻堂南町

ようこそいらっしゃい♪ 規約など、各リンクをチェックお願いします。

神奈川県 

藤沢市有形文化財人形山車
辻堂には文化財にも指定されている四基の山車があります。
明治・大正・昭和にかけて、全国でも山車の新調が多く見受けられます。
資料から察するに、この頃に人形職人を中心とした商業活動として、さかんに全国で山車作りの推進が行われていたのではないかと個人的に推測しております。また、この頃まで盛んであった東京(江戸)の山車まつりで使われていた山車を関東一円に譲り受け・払下げしたという記録も散見します。

辻堂に四基現存する山車ですが、その作者と制作時期は不明、おそらく大正期前後の作ではないかといわれています。辻堂の伝承、口伝によると、明治~大正期に職人を長期にわたり仮住まいさせ、各町内の広いお宅の庭で山車を作らせたそうです。また、制作には長い期間を要し、町内ではあまりの進展のなさを心配する声もあったようです。

各町内の山車を見比べてみると、構造や工法の違いなどを確認することができますので、この点からは、それぞれが違う時期、違う職人・業者の手によるもの。年代にも違いがあることが想像できます。
また、町内によっては近隣からの出来合いの山車を譲り受けたという伝承も残っております。

いずれの山車も現在の価値に換算すると、山車、水引幕、人形を含め、再現するとなると1億円以上かかるであろうと言われています。

山車はいわゆる相州型ともよばれる、江戸型に近く、一層作りの山車の中心に柱を立て、その柱に2段の高覧・水引幕を張り、最上部に各町内の人形を立てます。全高は9メートルにも及びます。

みどころとして、27日の午後に神社にて、各山車が人形を上げたまま太鼓を競演し、ぶん廻しする姿は圧巻です。

なお、一般的にみても、町全体で統一されたテーマを持って人形をそろえている場合はまれで、各町内の意向(または人形職人の意向)が優先されたものだったのでしょう。辻堂でも統一されたテーマとはなっておりません。

さらに、各地の山車を見ると、彫り物は部材などの各部は共通、いわば規格サイズで作られている事が多く、この点にも、ある一時期に量生されていた可能性が垣間見えるのではないでしょうか。


辻堂の人形
町名 人形 備考
東町 源頼朝 水引の合戦絵巻は必見
西町 源義家 水引幕に歴史あり
 南町  武内宿禰  今から約2000年前に天皇家五代に仕えた日本最初の大臣で、300歳以上生きたとされる人物。身長は2メートルとも3メートルとも言われる。日本書紀・古事記に登場するが実在については定かでない。胸に抱く赤ちゃんは神功皇后(北町の人形)の子であり後の応神天皇。シーンとしては神功皇后を擁立し、大和朝廷を攻めた時のものか。
明治期までは英雄・ヒーローと言えば「武内宿禰」であり今で言えば、さながらスーパーマンかウルトラマンであろうか。明治~大正にかけて兌換紙幣の肖像にも使われていた。
 北町  神功皇后  彫刻は随一